夢 徒 然  (流氷記六十号歌)

原爆忌過ぎて夜通し絶え間なく野生の鈴虫鳴き続けおり

右に溝あれば右には倒されぬ自転車絶えず危険伴う

安全な道などなくて自転車は人と車の間を走る

原爆忌過ぎて夜通し何を泣く鈴虫こころに染み通りゆく

図書室の本積み上げて流氷記束ねて圧縮されし数日

原爆忌過ぎて夜通し鈴虫は命の限り鳴き続けおり

テレビでは除菌除菌というけれど人こそ除菌されねばならぬ

過ちは繰り返さないという日本負けて虜囚とならねばよいが

坂上ることあきらめて押していく自転車明日は漕いでいくべし

脳にぐしゃぐしゃに溜まった固まりが一気に溶ける歌出来るとき

ゴキブリを蜘蛛を殺せとのたまえど妻よあなたの方が恐いよ

我が内に無数に棲みし虫たちも共に鳴くらし鈴虫鳴けば

何という名前継子の尻拭い遠慮しながら小さき花咲く

炎天の小公園にカナムグラ使われなくなる哀しみ群れる

半世紀前にも洋酒ら山ゴボウ道の端手に匂うその色

崖の下イヌタデ群れて紫の花それぞれに八方に伸ぶ

書き留めて行方不明になった歌レシートの裏不意に見つかる

二十年くらいはあっという間にて永遠の別れも身近となりぬ

四十度近き暑さもこの頃はしみじみ秋の夜長となりぬ

屋根叩く激しき雨に紛れつつ死者の会話の伝わりてくる

目に見えぬ者らを乗せて悠々と回送電車は何処へか去る

泣いてるか歌っているか虫の音を聞きつつ眠る夢の中まで

四十度近くも暑いこの夏も過ぎてしまえばなつかしくなる

死者たちも混じりて楽しく過ごしいる夢の続きも我が裡にあり

台風と雷雨が空をかき乱しすっかり蝉も鳴かなくなりぬ

動物の死を調理して生きている人は死んだら灰となるのみ

骨壺に入る骨以外破棄されて行方も知らぬ人の生き末

聞き耳を立てては上司に悪く言うこの鼻糞のような人あり

吉之助南洲隆盛それぞれに気高く謙虚に生きし人あり

本当につまらぬ人を気に留めて悩む自分が馬鹿らしくなる

なぜこうもつまらぬ人が限られた残り時間を邪魔ばかりする

世間とは外れた見方ばかりする我こそつまらぬ人かもしれぬ

血管の詰まりを通す繰り返し脳裡に描き眠りへと入る

そうするより他になかったことばかり全ての過去が今に繋がる

戦争に負けて良かったなどという母の世代も少なくなりぬ

鳥が翔ぶ進化も奇蹟も信ずべし夢に描いたとおりの未来

死ぬまでは死なないように頑張っていくのみこの世はそう悪くない

苦しみもひっくり返ることがある楽しみながら生きていくべし

ゆめうつつ繰り返しつつ見る夢も複雑怪奇充実していく

壊れないように大事にゆっくりと豊かで楽しい夢を見ている

柔らかで奇抜で自由な発想を持ちて生きたし日々夢を見て

三千円歌集は一円でも売れず溶かされてまた紙となりゆく

同じドラマの同じ場面にばかり会う縁は不思議というよりはなく

葉も花も複雑緻密で美しい色合い一つ一つが違う

噛んでは呑む西瓜しゃりしゃり甘い汁食べては夏の一日が過ぐ

長いのか短いのかこの星にいて森羅万象驚きて見る

爽やかな見えぬ空気がニンゲンも草木も生かしこの朝がある

目録に高価な歌集並びおり我楽多となる定めも知らず

懐メロの歌手も当時の父母も若くて我も幼くなりぬ

台風の夜は激しい雨が降り膀胱に水溜まりゆくのみ

台風の夜は空気の粒と泡わが眼裏に弾けつつ見ゆ

謝ってばかりの日本が誤った歴史が書かれゆくのも知らず

人の好い平和な日本が台風と悪意の国になす術もなし

歴史家の書いた歴史は我々の生きた歴史と違う気がする

世の中は断定出来ない筈なのに嘘やはったりばかりが目立つ

慈悲溢るる平成天皇皇后を観るたび心温かくなる

日本の象徴として誇らしくしみじみと観るそのお人柄

台風が日本に近づくやもしれぬ数日後の危機だれも知らない

誰が好きなど重要な関心事にて中学生といるは楽しき

純粋で泥どろしていて嫌らしい我にも中学生の頃あり

うらがなしこの繊細な感覚にしみじみ浸りし中学時あり

感傷に浸ることなど今はなし少しずつ死に向かいつつおり

朝方の布団の温みにしみじみと秋の真っ最中にいるらし

噛み砕くやわらかい柿かたい柿至福の甘さ味わいて食ぶ

噛む毎に生きるよろこびやわらかい柿の果肉が口腔にひろがる

堅い柿噛むたび甘さ沁み出でて泉のごとき食感がある

食べることこそが出会いというべきか柿の果肉を砕くひととき

さくさくと梨が砕けて甘い汁飲み込む刹那味ひろがりぬ

噛み砕くジューッと湧き出る甘い汁梨の触感沁みるよろこび

私にもこういう頃があったのよ幼子を見て言う老婆あり

葡萄の粒舌で潰せばやわらかい果肉と汁が溢れ出てくる

眼球を頬張る心地ぶどうの実ぬるりと舌の上に沈まる

とろとろと葡萄の果肉舌の上転がりながら溶けてゆきたり

この秋はあっという間に彼岸花コスモス金木犀と過ぎゆく

車窓よりコスモス畑鮮やかに過ぎて心は色ひろがりぬ

ざっくりと林檎を囓るその時に一人の女がよみがえりくる

震災の後の仙台イーグルス奇蹟の勝利次々に見ゆ

健康の月刊雑誌は華やかに治った体験ばかりが続く

人間は奇蹟を信じていたいもの期待と希望絡ませながら

逆転の続く試合は人生はそう悪くない希望を灯す

眼が痛くなること多く我が視野に白い巨大な虫棲みている

身を守り平和のための戦いが戦争となるかなしきことよ

町なかに蛇棲むこともなくなりて平成二十五年も過ぎゆく

夢の中待っているわが分身は迷いに迷い帰れなくなる

夢の中に忘れ物あり取りに行く次に残しておくものもあり

亡くなりて後の不可思議父と母思わぬ日は一日としてなき

体から時間が抜けて走り去り今を取り残されて我がいる

安威川の土手の桜は幹古りてたわわに花が波立ちて咲く

アザラシのように桜は生き生きと手足を広げ花咲かせゆく

桜桜花浴びながら歩むとき人は栄華を味わいて行く

母言いき今は極楽火も水も灯りもボタン押せば出てくる

安威川は菜の花の黄に満ちみちて水面は青き空映しゆく

胴体のように電車が生き生きと曲がりて直ぐに視界より消ゆ

菜の花の絵の具のような鮮やかな黄の点描が果てまで続く

踏切を過ぎれば大きく曲がり行く阪急電車たちまちに消ゆ

安威川の土手を上りて永久橋一気に下る束の間楽し

安威川の水面は空と川岸の緑を映し光りつつ行く

美しき水迸る黒部川青濃き空と白き峰見ゆ

香ばしき麦秋続く車窓より物語めく過去よみがえる

時折は触らぬ神にたたりなき用心もして今日も暮れゆく

水田に逆さに白き山映る一瞬一瞬が車窓より見ゆ

雪残る山の狭間をのろのろと色鮮やかなバス連なりぬ

雪の壁続く道にはニンゲンが壁画のごとく群がりて立つ

雪の山スキーの後のジグザグの途切れたところ人影が見ゆ

バカ犬は吠えてばかりと教えればやや大人しくなる生徒あり

美しい投球フォーム端正な能見打ち砕かれて去りゆく

編集後記
★この四月に茨木市立東雲中学校から南中学校へ転勤。めまぐるしい異動である。一年間で学校を変わるというのは初めての体験だが、その分接する生徒が増えて楽しい面もある。二年生と三年生の二クラスずつ教科を受け持つことになったが生徒も僕も楽しい充実した時間を過ごしている。生徒もみなが集中して僕の話を聞いてくれるので自然成績も良くなり、或るクラスは一回目の定期テスト九十点台が十二人、八十点台が七人でクラスの丁度半分が八十点以上になった。生徒の感想も授業が楽しかったというのが多かったのが嬉しい。★前号の眼裏月からちょうど一年が経った。生徒の一首評に急かされての今号である。生徒に流氷記を紹介するのは気恥ずかしいもので、南中の一首評はこの6月と7月に集中している。中学生の感性に出会い、自身のその時の感性が呼び戻される体験を持てるのも嬉しい。自分も生徒の一人になったような気持ちに何度もなった。こんな環境がいつまで続くのか、ちょっと寂しくなる。★この一年間、歴史研究に載せた四編を転載することができた。この四編は小論文や随筆、特集の逸話、二千字の歴史小説など、偶然だが多岐にわたった。市販されている総合雑誌なので原稿は不採用になるかもという不安もあったがそうならなかった。書きたいことが次々に増えていくのはいいことなのかもしれない。色んな事にチャレンジしていきたい。★偶然見つかった高安国世先生の歌原稿は全く記憶の外にあったが、『塔』昭和四十六年一月号の二百号記念の歌集抄特集のものである。巻頭に高安先生の「二百号を迎える序章」があり、次に「高安大変貌」と題した富士正晴の文章がある。その後先生に紹介されて富士正晴の『バイキング』例会に行き、富士さんが喜んでくれたことも思い出す。今では茨木市中央図書館内に富士正晴記念館がある。★好田吉和先生が蜘蛛膜下出血で倒れられてからちょうど一年。時々病院に会いに行って拝見するが言葉が交わせないのが哀しい。病中ながら推薦があり教育関係での勲章をもらったとのこと。好田先生のような人がもらうべきと思っていたのでこれは嬉しかった。★三年生の修学旅行前の頃、急にハーモニカが吹きたくなり、今は少し凝った状態。楽譜が全く読めないので音を聞きながら吹いていく。この夏ビートルズの赤盤青盤の五十曲ほどの歌をマスターしたいと何度も聴いては少しずつ吹けるようになっている。これも楽しい。昨年十一月にマッカートニーのコンサートに行って改めてビートルズの凄さを感じている。短歌ももっと進化していかないといけないのだが‥