夭 折    百首

いっぱいに私の顔の映る谷 水のつめたさ死のやわらかさ

限りなき眠りいざなう岸にいて冷たき重さなき水を飲む

目つむれば指紋のような夜になる海はさびしきもの呼びていつ

天と地と噛みあううねる光たつ没日に海よいざなうなかれ

闇の上に反り立つ未来しろじろと撓いつつ来るひらくてのひら

把まんとして闇深く伸ばす腕 爪より湧こう泉のかたち

はなびらが花びらが散る花が散る夜毎夢には風吹き抜ける

地平線まで道のみ道が続くのを気づいておれば熱き臍の緒

ひとひとり死ぬかもしれぬ波打ちの際にくちばしつつく音聞く

思いつめおもいつめ坂下りつつくだりつめれば曲がり角なる

たたかれている音深く意識せず明るき雨の舗道にむかう

過去もない未来もないか舞い上がる落葉葉裏の金照りかえし

ささやきささやきささやきわたる森深くおまえのかたちを揺れる木洩れ陽

さびしさの極まりどこに街灯の明りのにじむ歩む道の上

泥まじる最後一滴耐えているくるくるくるくる独楽まわりして

なだらかに光のごとき雨が降るここから始まる鋭き痛み

アメリカン・ロックは細き筋ひとつ選り出す絡みあう神経を

手をそこに下さぬだけの罪深いこの身をだれかひきさいてくれ

盛り上がる土をみている 生きものは確かに死んで死を教えない

何ひとつ生み出そうとはしない窓きょうも命の絶えてあかるく

重そうな机がひとつふかぶかとちいさくなりぬ不意の夕暮れ

石地蔵かすかに首をふっていた ライトすばやくとらえゆく影

芽生えいる俺の充実うしろより望めるごとくビンを割る音

木の幹を隠す枝より葉のみえて確かに通りすぎてゆく霧

薄霞に押し流さるる大木のみえてかすかにもどる恥じらい

しろじろと我が通る道もりあがり闇ひぐらしと共にわたれり

波頭夜毎に叫ぶ夢を見る海が剥がれてゆく夢を見る

白い壁壁壁壁が挑みくるカーテン夜の潮騒閉ざす

まっぷたつに夜が明けたら赤い橋いつも視界のどこかを占める

ゆっくりと闇切り裂いてゆく涙その極点にかかる吊り橋

気がつくと我のみ渡る橋なりきふりむくごとに橋でなくなる

逝くごとく彷徨うごとく静かなる愛のかたちに満つるよろこび

なつかしい見知らぬ人の顔ばかり裡をかすめて揺れてゆく橋

ゆっくりとおまえの言葉の形さえ見ゆる秘かな逢い重ねつつ

ひとところガラスのひびの輝けり傷はもっとも目をかがやかす

ふうらりと揺られて眠る橋の上揺れのどこかで飛びたつこうもり

真っ白に花の季節の途絶えるとたゆたうように橋は色づく

いつまでも動かぬごとく揺れながら長き橋の上柩がとおる

色褪せた花一本の花のため川をのぼってゆく黒き馬

潮騒に遠ざかりつつふりむけばひときわあかるい破片がみえる

フライパン昨夜火消せし底ぬるくむされて今日のひでりがつづく

くらやみの空気の部分とじこめてコーヒーカップのさかさまならぶ

坂上る剛きライトに揺れる森 立ったままでも死はおとずれる

撒き水が粘着しているやわらかな路のむこうを夕陽はしずむ      

かたまりのごとくうずまく眼球を闇にほぐしつつ沈む夕映え

ピラピラにはがるる雲をみていますましろきさむき夕映えなりき

下半身浸しちぎれし夕映えに地平線上ひたすら走る

てのひらに疲れは言えず卓に置く湯呑みのなかにこもるむらさき

窓ガラス対のガラスを映す昼どこも接していないかなしみ

黒い腕の一本橋渡るわたるごと潮満ちみちて夏 一番星みつけた

愛恋の残した高い砂山をとらえてゆれる風の望遠

ふと音の絶えた海辺によみがえりよみがえりつつ歩む足音

山を背に歩いてゆけり克服のきざしを胸に護らんがため

階段を上る傾斜に鎮もれば隆起してゆくうしろ背ばかり

逝きたりき ひとつのトゲとして生くも眼するどきわが裡魯迅

カリカリとひきずられてゆくものがある私は眠っているのにである

雷の隈なく照らす木木なればいまいっせいに駆けだす森よ

木となりてくちづけつくすわれらなり木の上たしかに水の音する

木の葉木の葉 裏照り表照るならば風の気づかぬ闇ふれてみよ

まなぶたを閉じておそれき霧の間を蛇のごとくに立つ木木のこと

雨が降る雨が降るから眠りますどこかで地蔵がまた逢いにくる

森は羽 羽をひろげて森森とつめたき水の谷間をくだる

めのたまがゆれてうずまく夕映えにせなかをみせてわたるこうもり

おしゃべりなこども没り日に立ちつくす 電車が不意に近づいてくる

窓際にあかりを消せば闇のみに部屋にひとつの星がまたたく

キャンパスの布目に風をはぐくめば雲よあなたはだまってゆくのか

急激には染まるな危険だ若者よ〈ぼくにもはばたかせてください〉

鳥篭が鳥追っかけて飛んでいるくちびる色のちいさな耳です

どうくつにしたたる水の銀世界そこには白いこうもりがいる

地の果てを沈みかかったトンネルをくぐりぬけたよ真っ赤にぬれて

長い髪の女の首がとんでゆくはやいはやい流れ星だよ

je suis fou de vous
樹 水 風 土 母 やわらかな闇打つしらべ忽然と乳房洗われてい

透明な星星星にひびく〈ぼく〉ひとりぽっちひとりぽっちひとりぽっち・

ぼくのみる最後の次の葬列が・・・母の呼んでる ひとごみのなか

しおかぜにひとりすなはまかけてゆくさびしくはない かいがらかいがら

あたたかき風を緑にしまいこみ誰も誰も去ってしまう野


傷口の赤き香のする夕闇をちいさくなって丘かけのぼる

唇を開けば雨の街灯が息吐くようにちいさくふかく

とどめ得ぬひとときなれど光射すさすひとところかざすてのひら

ゆうやけのしたたる森を絞りつつゆたかに闇が近づいてくる

おどろきはさびしきものとかわりつつもとめておまえになぐさめられる

絡みあう心は気づいてほしくない泥と泥との契りのごとくに

潜み入る悦びなれば指先に葡萄の房の息ふかくあれ

くちづけに疲れて幹をゆさぶれば幹のぶんだけ夜の霧濃ゆく

ひとすじの光が土に燃ゆるとき霧の夜闇はひえびえとあれ

抱きあう深さにむかう風さやぐ闇におまえの目を閉じ忘れ

一滴の涙谷間を落ちてゆくこだまのごとき死に出会う朝

何もかもかなぐり捨てて生きてやる早瀬に映るゆうやけならず

波を蹴るおまえの夜明けよたちどまれ 海はおおきくなびいていたか

眼裏の熱き風吹く冬野吹く野犬の群れにぬれるゆうやけ

畳から天井へ落ちようとする決して畳を離れられない

はばたいて飛ぶ一点を定められある夜まばゆき眠りにはいる

ゆるやかにゆるやかに闇展けども胸に小鳥を離さず歩む

なにもかもなくした胸にひるがえる遠く泉の聞こえることが

夕暮れの川へ小石を投げこめば音のおわりの沈黙映す

翼へとなりそこねしその腕もちて我を抱けり夢もつ我を

日の出日の出髪逆立てて寄る波に倒れぬようにむかってかがめ

乾ききった泉のひそとよみがえる裡をかすめる鳥影あれば

鳥飛ばん刹那に鳥の声もてば今朝は私の息吹き返す

水平線線の途絶えたあたりより波の数だけ鳥が飛び立つ


『夭折』あとがき
かなしみがかなしみでなくよろこびがよろこびでなくなった時、そこにひと

つの間隙が生まれる。その水平線からひとつひとつが生まれ大きくなりかも

めの群れはかたちをなして、幾何学模様は静かな動きの中にどっぷりと生命

のリズムを蓄えている。リアリスティックな〈もの〉は見者であるはずの僕

らの心を冷酷に透かして、またもとの〈もの〉へとかえってゆく。それは微

かな細胞分裂をおこなっているちいさな雑草のいたいたしげな葉を一度だけ

ひるがえしたにすぎないのだが…。気づかれぬいのち。僕らは幾度自らの絶え

まない心臓の鼓動を聞いたのだろう。それはどうしようもない生への告発を

伴って無意識な現実へと回帰してゆく。かすかな風はもう過ぎ去ってしまっ

たはずなのに細胞分裂は、そのひややかな〈もの〉に冷やされて鮮明に生命

の誕生を確信している。かなしみに似てよろこびに似てそのどちらにもあて

はまらない音のない現実はどんなに短くしても〈とき〉をまぬがれえないど

んなに伸ばしても隙間らしく隙間をつくってやまない平行におかれた〈とき〉

とともに〈もの〉としての冷たさを生命へとわりつけてゆくのである。過去

となってしまったとき、路傍の小さな石にささやかな幾何学模様が残されて

いた。それは人の目のいとなみに決して気づかれることのないあの細胞分裂

の化石なのである。時を隔てて風だけが静かに行き来を続けていた。海のか

もめは平らになった遠くの海へ水平線を目指してとびつづけている。海はど

こまでも波の鼓動を続けている。波は線となりかもめは点となって、やがて

水平線の隙間へと戻ろうとしている。ひとつの点はひとつの線となり、死を

恐れぬ回復は途切れることのない直線となりいつのまにか円くなっていて果

てしない輪廻を形成している。ちいさな模様のまわりを冷たく霜が凍てつい

ていて指紋がそれを平らにすると、まぎれもなくかつての生命のリズムが輝

いているのである。